学級担任をやったことのある方は、ご存じだろう。子どもは、手伝いが大好きである。認めてほしいからなのか?純粋に役立ちたいのか?わからないときもある。
およそ1年間、障がいをもった子どもたちとかかわってきた。彼らは、たくさんのことを教えてくれた。そして、彼らといると、なぜか癒される。
自分は、彼らの生きる目的をずっと考えてきた。人間はみな、目的をもって生まれてきたと信じているからだ。彼らといっても、その状態はさまざまだ。単に発達年齢が遅れている子ども。言葉をもたない子ども。生活上の補助が必要な子ども。体が思うように動かない子ども。
彼らは、周りの大人の補助を必要とする。周りの大人は、彼らを世話せざる負えない。そのことで、周りの大人は、強制的に他人への奉仕を体験する。自分もその一人だ。R君がいなければ、体験できなかったことがたくさんある。車いすから人を下すこと。背中をマッサージすること。数えきれない。
自分に多くの体験をさせた。そして、いろんなことを気づかせてくれた。そう考えると、彼らは先生なのである。
持てる者が持てないものに分け与えればいい。やれる者がやれない者を助ければいい。実にシンプルだ。
同じ教室にいて、同じ内容を、同じスピードで学ぶ教育。みんなに、同じ力を付けようとしている学校教育。本当にそれでいいのだろうか・・・。